ツイッターはしない派
わたしは大学に入ってからツイッターをやめた。
正確にいうと、大学受験シーズン入る前にやめた。その時は受験が終わったらまた始めようと思っていた。
でもツイッターは2度とやらない。
まずわたしがやめた経緯を説明すると、受験に集中したかったから。
でもなぜまた始めなかったのか。
それは、嫌な思いをしたから。それだけ。
わたしは大学受験に失敗して、志望校全部落ちるという貴重な体験者。笑
3月の卒業式おわってからやっと進路が決まった。
志望校に全部落ちた時に、励まそうと受験もしたことない指定校推薦で10月には進路が決まっていて遊び呆けていた子が、ご飯に誘ってくれた。
気分転換にちょうどいいし、誰にもあってなかったから、とりあえず外をでて、リフレッシュしようと思って、ピザを食べに渋谷にいった。
すごく気にしてくれているようだったけど、わたしはそんなに落ち込んでいるわけでもなく、現実を素直に受け止めて、今後どうするかを努めて明るく説明した。励ましの言葉もくれたし、なにより人と話すのが久しぶりだったので、とても良いエネルギーをもらえて帰宅した。
それが学校の登校日の前日だった。
学校に行くと、全然知らない子から
大丈夫〜?とか、頑張ってねとか、普段話している子に限っては、気まずそうに避けられている気がした。
なんだろう?これ。
え、わたしなんかした?
わたしだけ学校が久しぶりな感じがした。
クラスに入っても、なんかわたしだけ別の次元にいる気がして、なんかずっと、見えない籠の中に閉じ込められてるような、動物園のパンダみたいな感覚だった。
隣の席の男の子も気を使ってる様子だったから、気になって聞いてみたら、ツイッターで〇〇ちゃんが書いてたよ。って。
あ、そっか、そうなんだ。そっか、そっか。そういうことか。あ、もうなんか、いいや、なんだろこの感覚。なんか馬鹿にされているような、裏切られたような、不思議な感覚で笑っちゃって。笑
その後も仲良い友達とかが
〇〇ちゃんのツイートみて受験のこと気になって聞いたよーって。
ん?わたしに直接それ聞けばいいんじゃない?
それ聞いてもいいけど、教える方もおかしいけど、え、それ、わたしに報告する必要なくない?えっ、何考えてるの?怖いんだけど、心配してんじゃなくて、人の結果ただ知りたいだけでしょ、噂話したいだけじゃないの?えっ、分かんないなになに、分かんない。
別に落ちたことツイッターに書くなとか、そういうことが言いたいんじゃなくて、わたしがツイッターやってないこと分かってて、影でこそこそ書いて、それに対しても、わたしのいないところで話を進めてるのが不思議でしょうがなかった。本人がいないところでわたしの話をしてるって、理解が出来なかった。
というより、わたしはそんな子たちが友達だったということの方が悲しかった。
信頼して、明るく話したけれども、それをツイッターという誰もが見えるところでみんなが見てるところで話されたのも、一種の裏切りと感じたし、直接聞いてくれなかった友達も、友達じゃなかったんだと、悲しくなった。
それから卒業してこの子達に遊びに誘われても遊ばなくなった。嫌いになったとかじゃなくて、関わる必要性が見出せなかった。
でもこのことだけがツイッターをやらない理由ではない。
わたしの受験の時のこともそうだけど、わたしの秘密、誰にも見られたくないことを、全世界に向けて、発信してるのは、オナニーを大広場でしてるのと同じだと思う。
これはわたしの意見ではなくて、高校の担任に言われた言葉。おかしいけど、少し納得した。
自分の感情や、嫌なこと、秘密、なんでも書いてしまう高校生のツイッターにはいいことなんて何もなかった。人のオナニーをみても不快な気持ちになるだけだった。
わたしは自分のことで精一杯だし、人が何をしようが、どこへ行こうが、どんな気持ちであろうが、それに振り回されてる暇もないし、振り回されたくない。
見てはいけないものを見てしまって、勝手に不快な気持ちになるのなら、見ないほうがいい。怖いもの見たさで見ていいことなんてないし、気になってしまう自分も嫌になる。
だから見ないという決断をした。
そしたらスッと気持ちが軽くなるし、なにも考えなくてすむ。知りたくないものは知らなくていい。無理に全部知る必要はない。
でも、正直いうと、わたしにもたまには見せたいという欲求がある。
なのでわたしは見せたいという欲求はこのブログで匿名でどこの誰かわからないように、見せている。それだけで十分。
だからツイッターはやらない。