アタマの中

わたしの頭の中を文字にしてる。

1年が人生のすべて

 

 

久しぶりに文章や自己表現をしたくなって戻ってきたわけなんだけどもきっとこのブログを書き始めたのもちょうど1年前くらいのこの時期だった気がする。

 

私だけに限らず、人の思考回路はくせがあって考えが変わったとしても考え方のくせや特徴はなかなか変えられない。

 

何かに挫折したり、飽きたり、諦めたり、

はたまた何かに挑戦したり、夢中になったり、勉強したり。

 

 

そのサイクルがここ2年ほどほとんどぴったりでウンザリする。

 

 

なんだか毎年違うことをしているはずなのに毎年同じに感じる。

 

 

これがあと何十年と続くのかと思うとこの先の楽しみなんてあるのだろうか。

 

 

今年は去年とは違う、一年にしたい。

 

 

そのためすることは決まっている。

 

 

 

これから毎日よろしくお願いします。

 

 

自分を受け入れる



何かミスをしてしまったり、何か恥ずかしいことがあったりすると、その間違いをしてしまった自分を許せなくて、自分を責めたり、殺してしまいたくなる。


ただのミスを事実として受け入れて、どうしたらいいか反省したり改善したりすることが正しいことも、大したことじゃないことで悩んでることもわかっているんだけれども、自分を信じられないし受け入れられない。



全てのことがそうであるわけではなくて、誰かと関わっている時とか誰かにどうにか思われてしまっているんじゃないかとか迷惑かけたかもしれないとかそういう時に考えてしまう。コミュニティに属するのが本当に苦手。


生きづらい。



ずっと同じようなことを繰り返してその度に落ちて悩んで死にたいって思う。そろそろ飽きたので改善したいのです。


心理学の本をよんで心のモヤモヤの正体と、自分の考え方のくせを把握することが一番の薬。


荒治療でガールズバーとスナックで働いてだいぶ改善したと思っていたけれど本質は変わらなかったのかなぁって。



というか、誰かに好かれることを仕事にすること自体私には向いていなかった。だけ。



自己肯定感が低くて、好かれることが怖いくて、指名を取るために頑張るところまではできるんだけど、いざ指名でお客さんが来ると、こわい。


好きにさせるところまでは人並みくらいにできるけど、本当にそうなった時に、怖い。



これは男女に限らず女の子でも友達でもありがたいことに好きとか、仲良くなった時とかもそう。こわい。



いまはその怖さと戦っている。






抜け出せない



本当に好きなもの大切なものは簡単に口に出してしまったら嫌いなものになってしまいそうなので、大切に心の中にしまって置く。



しまってある沢山の大切なものでわたしは出来上がって、辛い時はそれを抱えれば強くなれる気がする。



でも、しばらくはそうも行きそうにないです。




ありのまま




誰が書いてるかも、誰にみられてるかも、何が真実かも、何も分からないのにここですら、ありのままの自分の気持ちを書けない自分が嫌いで、窮屈だ。


自分の意見を言うことは人の意見を否定しているような気がしてしまって、他人の意見にひとまず同調というか、受け入れてしまって、なんだか窮屈で、素直で正直出ないような気がして、


こんな自分とさよならしたいと何万回思ったことか。



そんなことを繰り返してたらもうよく分かんなくて、わたしのことをよく知る友達は躁鬱っぽいとか、鬱っぽいって言われるんだけど、それもただ弱いだけな気がして、乗り越えられないわたしが甘えてるだけなんじゃないかって、


何かを乗り越えないと、みんなと同じスタートラインに立てない状況に生まれたことが最近はもう頑張れなくて。



褒められるのはだーいすきだけど、わたしが見せたい姿をその策略にハマって褒めてくる人は信用できないし、そんな自分でいなければいけないという掟が増えてしまって、また自己否定の繰り返しで。


こんな時間にこんなことを考えても意味ないし、悩んでも行動しなければ悩むことも無駄だと思うから、ほんの少し考えを言葉にしたかったので、すみません。なんか。



こんなかんじです、毎日。おやすみなさい、



バレンタインは人生の縮図



最近はよく、好きなことで生きるとは、やりたいことをみつける、とか、そういう人生観について考えることが多くて。



これって多分誰もが考えてて、自分が何になりたいとか、何したいとかって永遠のテーマで、そのための人生だったりする人もいるし、それくらい大きい、大事なことだけど、みんな本当のところはよく分かってない。気がする。

わたしもそう、だと思う。


好きなことをするって、バレンタインデーに女子から本当に好きな男の子にチョコをあげるくらい勇気がいることで、義理チョコとか誤魔化さないで、本命チョコをまっすぐ相手に届けるくらい大変なことなんだよ。ってバレンタイン終わりに思ったのである。


バレンタインは義理チョコって保険がきくけど、仕事とか人生の本命チョコに保険はない。唯一の保険がやりたいことを見つけないこと。それは告白しないこと。告白してしまったら、後戻りはない。


でも義理チョコを沢山わたしたらその内の一つでも本命チョコになってしまうこともあるし。



なんて考えたり、してみちゃったり。



これからは毎日が義理チョコ作りの人生。







考えすぎ



進む時、選ぶ時、覚悟がないと選択ができない。


考えすぎだと言われるけれど、考えないと羽目を外してしまう気がするから、慎重に。



好きなもの、こと、大切なものこそ選択が慎重になって決断ができない。



好きなものを知るのが怖くなったりする。



好きじゃないけど、嫌いでもないことの方が何も考えず気楽にのびのびと自由に生きられる気がする。楽だけどその選択ってあってるのかなぁ?と高校生の頃から思い続けて逃げてきた。


今は来世で飼い猫になるために一生懸命に生きる。